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【考察】海外トップジムのヘッドコーチはどこから来たのか?UFCランカーを育てる指導者たちのキャリア

UFCランカーを育てる海外トップジムのヘッドコーチは、どんな経歴からその座に就いたのか。約30のジム・陣営を調べると、「元トップ選手がジムを開く」は意外と少数派だった。

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以前、JTTが新しいコーチを募集しているという話を書いた。選手志望の会員〜プロに成り立ての選手たちを見られる人、つまり「その層のヘッドコーチ」的な人物を探しているようだ、という内容だった。

で、ふと思ったのが、そもそもヘッドコーチになるような人は、どういうキャリアを辿ってきているのかということ。

日本だと、元選手や柔術家が自分でジムを起こして、そのままヘッドコーチになっているケースがほとんどに見える。では海外はどうなのか。UFCランカーや王者が在籍するようなジムのヘッドコーチは、どこから来た人たちなのか。

北米・欧州・オセアニア・ブラジル・ロシア・アジアの約30のジム・陣営を調べてみた。


先に結論:「元トップ選手がジムを開く」は海外でも少数派

調べてみて一番意外だったのはここだ。

UFC王者を何人も育てているようなヘッドコーチでも、選手としてはローカルレベル止まり、あるいは競技歴がほぼない人物がかなり多い。むしろ「元トップ選手がそのまま名将になった」ケースのほうが少ない印象すらある。

ざっくり分類すると、海外トップジムのヘッドコーチは次の6タイプに分かれる。

タイプ代表的な人物(ジム)
① 立ち技・武道の道場主がMMAに「転業」ハビエル・メンデス(AKA)、グレッグ・ジャクソン(Jackson-Wink)、トレヴァー・ウィットマン
② ローカル止まりの元選手・異業種からの転身ユージーン・ベアマン(City Kickboxing)、ジョン・カヴァナー(SBG Ireland)、ジョン・ウッド(Syndicate MMA)、パブロ・スクピラ(Fighting Nerds)、レイ・ロンゴ(Serra-Longo)
③ 競技歴ほぼゼロ、会員からの叩き上げエリック・ニックシック(Xtreme Couture)、フィラス・ザハビ(Tristar)
④ 元トップ選手が所属ジムに残るマイク・ブラウン(ATT)、グローバー・テイシェイラ、ハビブ・ヌルマゴメドフ
⑤ 単一競技の専門家がMMAへアンドレアス・マイケル(Allstars)、ヘンリ・フーフト(Kill Cliff FC)
⑥ 国家の育成・資格制度からアブドゥルマナプ・ヌルマゴメドフ(ダゲスタン)

それぞれ見ていこう。


① 道場主がMMAに「転業」した第一世代

1990年代、MMAがまだ競技として固まっていなかった時代に、すでにキックボクシングやボクシング、自己流の武術の道場を持っていた人たちが、MMAの需要に合わせて転身したパターンだ。

ハビエル・メンデス(AKA)

ハビブ・ヌルマゴメドフやイスラム・マカチェフの打撃を見てきたことで知られるAKA(American Kickboxing Academy)のヘッドコーチ。

もともとはプロのキックボクサーで、ISKAの世界王者にもなっている。現役中の1985年にキックボクシングの道場としてAKAを開き、1997年に地元のUFCファイターが打撃を習いに来たことがきっかけでMMAの指導を始めた。ジム名に「キックボクシング」が残っているのはその名残だ。

グレッグ・ジャクソン(Jackson-Wink MMA)

ジョン・ジョーンズやジョルジュ・サンピエールを指導した「戦略家」の代名詞。

意外なことにプロの戦績はない。レスリング一家に育ち、治安の悪い地域で護身のために格闘技を始め、柔道は本で独学したという。高校卒業直後の1992年に自分で武術を作って教え始め、2000年頃からMMAジムになった。

現在のJackson-Wink MMAは、キックボクシングの世界王者だったマイク・ウィンクルジョンとの二枚看板。「戦略家」と「打撃の専門家」がペアでジムを率いる形だ。


② ローカル止まりの元選手・異業種からの転身

個人的に一番面白かったのがこのタイプ。そして数としても一番多い。

ユージーン・ベアマン(City Kickboxing)

イスラエル・アデサニヤ、アレクサンダー・ヴォルカノフスキー、カルロス・ウルバーグらを育てたニュージーランドのCity Kickboxing。そのヘッドコーチがベアマンだ。

もともとはラグビー少年で、オフシーズンの体作りでキックボクシングを始めた。オークランドの大学で法律を学んでいたが2年で中退し、格闘技に専念。キックとMMAで48戦ほど戦ったものの、本人いわく「望んだ高みには届かなかった」ローカル選手だった。

2007年、練習仲間と「自分たちが練習する場所」としてジムを開いたところ、若い選手たちが指導を求めて集まってきて、自然とコーチになっていったという。

ジョン・カヴァナー(SBG Ireland)

コナー・マクレガーを育てたアイルランドのコーチ。

大学では工学を専攻していた。MMAのプロ戦績は3勝3敗。2001年に南アフリカでSBG(Straight Blast Gym)の創始者マット・ソーントンと出会い、SBGの系列ジムとしてダブリンでジムを開いた。いわば「のれん分け」から始まっている。

ジョン・ウッド(Syndicate MMA)

2025年のWorld MMA Awardsでコーチ・オブ・ザ・イヤーとジム・オブ・ザ・イヤーの両方を受賞した、今一番勢いのあるコーチの一人。メラブ・ドバリシビリや張偉麗を指導している。

プロMMAの戦績は7勝6敗。22歳のとき、交通事故の示談金を元手に自分のコーチと共同でジムを開き、選手・コーチ・経営者を兼務しながらここまで来た。

パブロ・スクピラ(Fighting Nerds)

カイオ・ボハーリョやカルロス・プラテスが所属するブラジルの新興チーム、Fighting Nerdsの創設者。

前職はマーケティング職。ボクシングを始めたのは29歳。ムエタイとボクシングでプロの試合にも出ていたが、2009年にKO負けを喫したことで「自分は世界王者にはなれない」と悟り、指導者への転向を考え始めたという。チーム名の通り、データや分析を重視するスタイルで知られる。

レイ・ロンゴ(Serra-Longo)

マット・セラ、クリス・ワイドマン、アルジャメイン・スターリング、メラブ・ドバリシビリと、4人のUFC王者のコーナーに就いてきたニューヨークのコーチ。

大学で会計学を学び、昼は会計士として働きながら、夜に自分のジムで選手を教えていた。本人は「会計士を続けていたほうが稼げただろうが、幸せではなかった」という趣旨のことを語っている。


③ 競技歴ほぼゼロからの叩き上げ

エリック・ニックシック(Xtreme Couture)

フランシス・ンガヌー、アルジャメイン・スターリング、ショーン・ストリックランドの3人をUFC王者に導いたラスベガスのコーチ。

この人の経歴が一番衝撃的かもしれない。格闘技の競技歴がない。学生時代にやっていたのはアメフトだ。

2000年代後半に一般会員としてXtreme Coutureに入会し、柔術を学びながらキッズクラスの指導を任され、ジムのジェネラルマネージャーになり、2017年に前任者の退任に伴ってヘッドコーチに就任した。会員→スタッフ→GM→ヘッドコーチという、完全に「ジムの中で育った」コーチだ。

フィラス・ザハビ(Tristar Gym)

ジョルジュ・サンピエールのメインコーチとして知られるカナダの理論派。

アマチュアのムエタイでカナダ王者になったことはあるが、プロの戦績はない。大学では哲学を専攻していた。Tristarに入門して半年ほどで、なかなか来られない師匠の代わりにクラスを任されるようになり、やがて運営を任され、2008年にジムそのものを買い取ってオーナーになった。


④ 元トップ選手が「所属ジムに残る」パターン

もちろん、元トップ選手がコーチになっている例もある。ただ特徴的なのは、自分で新しくジムを開くより、現役時代の所属ジムにそのまま残ってコーチになるケースが目立つことだ。

  • マイク・ブラウン(ATT):元WEC世界フェザー級王者。ATTの所属選手だった2012年にアシスタントコーチとして採用され、2014年の引退後にフルタイムのコーチに。ダスティン・ポイエーやケイラ・ハリソン、そして堀口恭司を指導してきた
  • グローバー・テイシェイラ:元UFCライトヘビー級王者。2023年に引退した直後から、もともとスパーリングパートナーとして自分のジムに来ていたアレックス・ペレイラのリードコーチに
  • ハビブ・ヌルマゴメドフ:父アブドゥルマナプの後を継ぎ、イスラム・マカチェフらを指導。引退した元王者が、同じ一門の後輩をそのまま見る形

選手としての実績がそのままコーチとしての信用になっているのは確かだが、「ジムという組織の中にコーチのポストがあって、そこに収まる」という流れになっている点は、日本の「引退したら自分のジムを開く」とは少し違う。


⑤ 単一競技の専門家がMMAのヘッドへ

  • アンドレアス・マイケル(Allstars Training Center):ハムザト・チマエフのMMAでの最初のコーチ。スウェーデンのボクシング五輪代表チームのコーチからMMAジムのヘッドコーチになった
  • ヘンリ・フーフト(Kill Cliff FC):オランダ出身で、キックボクシングで100戦以上を戦った。ピーター・アーツのトレーナーを経てMMAの打撃コーチに転じ、カマル・ウスマンらを指導

ちなみにKill Cliff FCは、フーフトと、NCAA(全米大学体育協会)のレスリングで3度優勝し、その後大学のレスリングコーチを9年務めたグレッグ・ジョーンズが共同で創設したジムだ。ここでも「打撃の専門家」と「レスリングの専門家」のペアになっている。

アメリカではこのように、エリートレスラーが「レスリング担当コーチ」としてMMAに参入するルートも太い。ATTのスティーブ・モッコ(北京五輪代表)なども同じ流れだ。


⑥ 国家が指導者を育てるダゲスタン・旧ソ連圏

ここだけは、西側とまったく違う仕組みになっている。

ハビブの父、アブドゥルマナプ・ヌルマゴメドフはレスリングで「マスター・オブ・スポーツ」の称号を持ち、兵役中に柔道・サンボを学んだ人物。「ロシア功労コーチ」という国家称号も持っていた。

ロシアでは、コーチ職に体育・スポーツ分野の高等教育か職業教育が必要とされ、2年に1回の研修も義務づけられている(労働省の職業標準による)。ソ連時代から続く公営のスポーツ学校網があり、子どもの頃から選抜・育成された選手が、やがて国家資格を持った指導者になっていく。

民間のMMAジムでどこまでこの制度が徹底されているかは今回確認できなかったが、少なくとも「コーチになるための公的な道筋」があるという点で、「ジムを開いた人がコーチ」という西側・日本の構造とは対照的だ。

旧ソ連圏の育成全体についてはこちらの記事で詳しく書いている。


「ヘッドコーチ1人が全部見る」ジムばかりではない

経歴と並んで面白かったのが、ジムの体制の多様さだ。

体制例
オーナーとコーチが別人ATT(オーナーのダン・ランバートは実業家。元王者・元トップ選手をコーチとして多数雇用)
専門家2人の共同経営Jackson-Wink(戦略+打撃)、Kill Cliff FC(打撃+レスリング)
スター選手が創設Team Alpha Male(ユライア・フェイバー。ヘッドコーチは外部から招いて何度か交代)
ジムを閉じて少数精鋭を指導トレヴァー・ウィットマン(自社の施設で選手を指導)
複数拠点を組み合わせる「陣営」マカチェフ(ダゲスタン+AKA)、メラブ(Syndicate MMA+レイ・ロンゴ)

特にATTは象徴的で、オーナーは経営と資本を担い、ヘッドコーチ格の人物の下に、元UFC王者、五輪レスラー、元GLORY王者、ムエタイの名手などが「雇われコーチ」としてずらりと並んでいる。コーチが職業として成立しているからこそできる形だ。

また、王者クラスになるほど「1つのジムで完結」ではなく、ヘッドコーチ+打撃・レスリング・柔術・S&Cの専門家を複数のジムから組み合わせるのが当たり前になっている。


アジアで外国人コーチを招いた例

日本と近い立場として、アジアのジムが海外の指導者を招いた例も調べてみた。

うまくいったケースとして目立つのが中国だ。初の中国人UFC王者・張偉麗を育てた北京の陣営では、フィリピン生まれで米国から北京に移り住んだヴィンセント・ソベラノが打撃を担当していた。ただしMMAのヘッドコーチは中国人の蔡学軍(ツァイ・シュエジュン)。外国人を「ヘッドとして丸ごと招く」のではなく、自国のヘッドコーチの下で専門分野を任せる形だった。

もう一つの主流は、国内で素材を育てて、仕上げは米国の名門ジムに送るやり方だ。中国のソン・ヤドンはTeam Alpha Maleへ、カザフスタンのシャフカト・ラフモノフはKill Cliff FCへと移っている。

一方、日本では、JTTが米カレッジレスリング出身のビリー・ビゲロウを2024年3月から専属レスリングコーチとして迎えた。朝倉海は「ビリーのおかげでRIZINのチャンピオンになれた」と感謝を語っていたが、ビゲロウは2025年春にJTTを離れている。その理由として言語や文化の違いで選手と深く関わることが難しかったという趣旨の発言が報じられている(ビゲロウについてはこちらの記事も参照)。

技術的には結果を出しても、育成層まで根を張るのは難しい。外国人コーチ招聘の難しさがよく表れた例だと思う。


なぜ日本では「ヘッドコーチ」が職業になりにくいのか

ここで日本に目を戻すと、主要なMMAジムの代表者は、ほぼ全員が元選手・五輪レスラー・柔術家が自分でジムを開いたケースだった。パラエストラの中井祐樹、THE BLACKBELT JAPANの鶴屋浩・松根良太、BRAVEの宮田和幸、AACCの阿部裕幸、TRIBE TOKYO MMAの長南亮、リバーサルジム立川ALPHAの金原正徳……。

数少ない例外が名古屋ALIVEの鈴木陽一で、スポーツクラブ業界でトレーナーや施設運営をしてきた人物。格闘技を始めたのは34歳からだという。ただ、その鈴木氏も「雇われヘッドコーチ」ではなく、ジムの創業者だ。

つまり日本では、「コーチになる=自分のジムを開く」がほぼ唯一のキャリアパスになっている。背景にはいくつかの構造がある。

月謝モデルではコーチを雇う原資が生まれにくい

日本の格闘技ジムは、月謝1万円前後の一般会員で経営を回すのが基本だ。稼げるのはフィットネス目的の会員やキッズクラスで、プロ育成そのものはお金を生まない。

プロボクシングでも、トレーナー専業で生計を立てられるのは「10人未満」という2017年の記事があり、米国ではトレーナーの報酬がファイトマネーの10〜13%にあたるのと比べて、地位も報酬も大きく違うと指摘されている。

MMAには公的なコーチ資格がない

日本スポーツ協会(JSPO)の加盟団体には、ボクシング・レスリング・柔道・空手などはあるが、MMAやキックボクシング、柔術の団体はない。つまり公認コーチ資格の制度からMMA指導者を育てる道筋がない。

国際アマチュア団体のIMMAFにはコーチ認定制度があるものの、日本での運用状況は確認できなかった。資格がないので、指導者としての実績を示す手段は結局「選手としての実績」くらいしかない。それがまた「元選手が指導者になる」循環を生む。

選手自身が「ヘッドコーチ役」をやっている

ATTに移籍した堀口恭司は、米国では1つの施設で練習が完結し、複数の専門コーチが方針を統一しているのに対し、日本は複数のジムを掛け持ちして、その調整を選手個人がやっていると比較していた。「日本はまだまだ総合格闘技が職業として確立されていない」という趣旨の発言もしている。

中村倫也も以前のインタビューで、自分を追い込む存在について問われ、「ずっと前から自分自身でした」と答えていた。日本のトップ選手は、自分の中にヘッドコーチを持っていることが多いのかもしれない。


まとめ:名将は「ジムという組織」の中から生まれている

今回調べて感じたのは、海外のトップコーチたちのキャリアは、選手としての実績よりも、「ジムという組織の中でコーチとして育つ時間があったかどうか」のほうが大きいということだ。

  • 会員からスタッフ、GM、ヘッドコーチになったニックシック
  • 師匠の代わりにクラスを任されて、ジムを買い取ったザハビ
  • 練習場所を作ったら人が集まってきたベアマン
  • 所属ジムにアシスタントコーチとして残ったマイク・ブラウン

こうしたキャリアが成り立つのは、コーチを雇う側(ジム・スポンサー・選手の報酬の一部)にお金があり、コーチというポストが職業として存在しているからでもある。

日本では、指導者になりたい人の前にある道はまだ「自分のジムを開く」がほとんどだ。海外の名将たちの経歴を見ると、選手としてトップでなくても、競技歴がなくても、ヘッドコーチにはなれる。ただしそれは、指導者として育つ場所と時間が用意されていればの話なのだと思う。


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参考

よくある質問

海外のMMAヘッドコーチは元トップ選手が多いのですか?

意外と少数派です。City Kickboxingのユージーン・ベアマンやSBG Irelandのジョン・カヴァナー、2025年の最優秀コーチに選ばれたSyndicate MMAのジョン・ウッドなど、選手としては地方レベル止まりだった人物が多く、Xtreme Coutureのエリック・ニックシックのように格闘技の競技歴がほぼない人物もいます。

海外のトップジムはヘッドコーチ1人が全てを見ているのですか?

そうとは限りません。ATTはオーナーとコーチが別人で専門コーチを多数雇用する体制、Jackson-WinkやKill Cliff FCは打撃とレスリング(または戦略)の専門家2人が共同で率いる体制です。王者クラスの選手は複数のジムやコーチを組み合わせた「陣営」で動くのが一般的です。

なぜ日本ではヘッドコーチが職業として成り立ちにくいのですか?

日本の格闘技ジムは一般会員の月謝で経営を回すモデルが主流で、プロ育成だけではコーチを雇う原資が生まれにくいことが大きいです。MMAには公的なコーチ資格制度もなく、指導者としての実績を示す手段が選手実績くらいしかないため、「元選手が自分のジムを開く」以外のキャリアが育ちにくい構造があります。

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